高齢者介護をして思う事
誰もが望まぬ負担に介護という問題があります。私も若くして寝たきりになってしまった祖父を15年、ガンになった父を2ヶ月介護いたしました。時間がたち、日々思う事を書いてみたいと思います。
避けて通れぬ問題
それは突然やってくる
病気になり家族に介護されるなどという事は誰も望みません。私もそうですし、祖父もそうでした。昔気質であればこそ、ポックリ死にたいものだと言ってました。しかし交通事故や急性の病に見舞われたら、選択の余地はありません。
受け入れざるえない
誰かがやらなければなりません。もしあなたが介護の負担から上手く逃れる事ができたとしたら、それはどこかの誰かの犠牲があってこそ成り立っているのだという事を忘れてはいけません。
介護につきまとう心理
介護自体は、上手くやればそれほどの負担ではありません。むしろ心理的な負担が大きいと思われます。
被害者意識
家族の介護の多くは無償でやる事になります。自分の持つリソースを無償で提供するのですから、負担の増大を感じるのも当然でしょう。特に現役世代であれば、残ったわずかな余暇を削る事になるため、その割合は相対的に高まります。
介護のとりこに
介護者は必要とされ、感謝され、苦労する自分を自画自賛するようになり、介護のとりこになります。共依存という状態です。介護を肯定的に受け入れるポジティブ思考でもあり、社会的ひきこもりを助長するネガティブ思考にもなります。
社会的引きこもりに
笑えなくなる
私は19歳の時から介護を経験する事になりました。同世代はみな大学生活を謳歌しています。最初こそ学生らしく周囲に合わせていましたが、すぐに付き合いの悪さに愛想を付かされました。どうしても心から笑えないのです。つまらない顔をしている。シラけると言われました。
悩みを打ち明けても笑われるだけ。結局、親友といっても赤の他人。不幸は蜜の味かと。思い知らせれました。
大学も中退
笑い声の溢れるキャンパスが居心地悪く、また出席もままならなくなり、序盤から単位が足らず絶望的になりました。大学の対応も辛辣で、所詮は金儲けの対象でしかないと知りました。後に中退を選択する事になり、それもまた親を悲しませ、また酷く叱責されました。
人生で唯一自殺を考えました。もちろん寝たきりになった祖父を思えば、それすらも許されません。今思えば、全て茶番でした。その後の15年に渡る介護と比べれば。
介護にまつわる悲しい現実
怒る祖母
介護をする祖母は毎日怒っていました。コップの中身をこぼす・尿瓶が間に合わず失禁する・誤嚥して咳き込む。そんな些細な事に怒り、私にもとばっちりが来るものだからたまりません。どうでもいい事で衝突して消耗していました。
寝たきりの祖父が本気で怒った
祖母と激しく言い合ったとき、寝たきりの祖父が突然胸倉を掴んできました。言葉も思考能力も失った祖父が全力で祖母を守ろうとしたのです。あの時の目は忘れられません。私には何を言いたいのか全て分かりました。
祖母が亡くなって
介護してる祖母が先に亡くなりました。私が住み込みで介護する事になりましたが、13年目ですから全て分かっていました。祖母とは違う介護をする事にしました。私が死んだら全て好きにしていいと日頃から言ってましたが、それ以上に自由に変えました。 介護は昼間だけで夜は別室で朝までしっかり睡眠をとる(その結果、夜中に死んでも仕方ない)。 今まで利用を拒んできたディサービス・ショートステイも活用する(ただし、これで完全に歩けなくなりました)。
祖父も亡くなる
最後は介護病棟で2ヶ月ほどで亡くなりました。ご飯も食べさせてもらえず、脚からのわずかな栄養投与でやせ細っての死でした。毎日お見舞いにいくと、必死で手で口にものを運ぶ仕草をする姿が痛々しかった。
何度も手術をしてくださった脳外科医の木田先生に相談したが、胃ろうについては消極的だった。祖母が生前、全面の信頼を寄せていた主治医の先生の意見に従った事は、今でも心の支えになっている。もし胃ろうをしていたら、きっともっと苦しんだであろう。
介護を終えて
祖父は自ら犠牲になって守ってくれた
こう考えるようになった。
ある夜、元気だった祖父の前に当然悪魔がやってきて、「家族に不幸が訪れる。それともおまえが代わりに犠牲になるか?」と聞いたなら、きっと祖父は躊躇なく受け入れただろう。本当に強い人だから。
脳動脈瘤破裂の激痛と何度も行われた脳外科手術、ガンマーナイフの恐怖。知能を失い幼児化し言葉も文字も亡くし、寝返りも打てず一生回復の見込みもない。
誰しも不幸は確率的に訪れる。祖父がたまたまその対象だったとしたら。統計学的にそうなのだから。祖父の犠牲あっての家族の健康なのだから。
私のもとにもいつか悪魔が訪れるであろう。もちろん祖父のように堂々と犠牲になってみせよう。じぃちゃんに負けられない!